平家物語の流動

多ヶ谷有子さんの論文「アスコラットの乙女と有子内侍」(関東学院大学英語文化学部会誌OLIVA23)を読みました。アーサー王物語の中で騎士ランスロットに叶わぬ恋をするアスコラットの乙女の物語と,源平盛衰記及び南都本平家物語の有子内侍入水記事とを比較文学的に論じた、講演に基づく論考です。

平家物語研究の方からいうと、有子内侍説話は本筋からは不必要な話(徳大寺実定が平家一門に独占された右大将の地位を、厳島神社の内侍を利用して賢く獲得した話に付随)のように見え、「琵琶行」や源氏物語を利用して拵えられた女性説話だとみなされます。源平盛衰記と南都本平家物語にのみあり、両者の記事の細部は微妙に異なっています。改めて両本を対照しながら、平家物語研究の喫緊課題を考えました。

女性説話は後補とされているがすべてそうだろうか?なぜ有子内侍説話がここに置かれたのだろうか?いま長門切の出現で問題となっている源平盛衰記の古態性(笠間リポート59号参照)等々、課題は続出しますが、何と言ってもいま必要なのは、平家物語の成立・本文流動の様相について旧説に囚われずに、読み本系的平家物語から十二巻本平家物語への過程を想い描くことでしょう。成立に関する結論を急ぐのでなく、平家物語の流動の方向を大きく展望した上で。例えば南都本の再検討は、その手がかりになるかもしれません。従来は現存諸本の分類に依拠して諸本の関係を想定してきましたが、南都本のように読み本系・語り本系(それも一方・八坂両方)に跨がる本が、ある時期たしかに存在していたという事実に、もっとこだわるべきではないかと思います。