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誰と「ともに読む」のか

日々雑録

1年近くかかって『ともに読む古典』の制作が峠を越えました。なぜこの本を出そうと考えたかというと―近年、文学教育の危機が叫ばれ、メディアや学会はそれぞれに努力をしているものの、現場の教員や生徒たちにどれだけ役立っているか、その琴線に触れることができているかと考え込むことがあります。「解釈と鑑賞」や「国文学」などの雑誌が休刊し、教育現場では、教材研究の参考となる最前線の研究を知ることに不安が募っているように思われるのです。一昨年11月の「国語と国文学」特集「研究と教育」号は、増刷するほどの好評を得たそうですが、裏返せば、勉強熱心な国語教員たちの飢餓感を象徴しているのではないでしょうか。
 あの特集には、私たちをぎくっとさせる問いかけがそこここに見られました。また、「人が古文を読んで、『面白い』と思い、人生について考えさせられたり、今までの価値観に変更をせまられたりする時というのは、(中略)古文に対して『一人称』で感想を持てた時ではないかと思う。」(大谷杏子さん)という指摘にも共感をもちました。

いま文学研究者は、これらの真っ直ぐな問いや指摘に、自ら答えるべきではないでしょうか。しかもそれは緊急の課題だと思います。

『ともに読む古典』の第1部の執筆者には、新しい教材を選定して、もしくは新視点から扱い得る教材を選んで、各人の思い入れを記述して下さい、古典の授業をイメージしながらも、あくまで文学研究の立場から①自分なら高校生に何を伝えたいかを明確に、②具体的なアプローチの方法を示しつつ、③およそ4コマ(50分×4回)で了えられる分量を目安として書いて下さいとお願いしました。第2部(総説)ではなるべく実例を挙げて具体的に分かりやすく、コラムには高校教員が生徒から指摘されたり質問されたりしたことで、今もつよく印象に残っていること、または当時答えられずに気になっていることを念頭に、簡明に書いて下さいとお願いしました。皆さんの熱意は、しばしばゲラを読む編者の手許が焦げそうなくらいでした。ご期待下さい。

書名に「ともに読む」とあるのは、次世代と共に、研究者と教育者とが共に、という意味でもありますが、つまりは「あなたと」共に、です。古文や中世文学についての何がしかの思い込みを、カーン!と打破してくれるはずです。