分かりやすいということ

国文学の本が売れない、版元は今や危機に瀕している、分かりやすく売れる本でなければ出せない、と言われ続けています。「売れる」かどうかはともかく、「分かりやすい」本とはどんなものなのでしょうか。ですますで書く、表紙やイラストにマンガをつかう、手取り足取りイントロやリード文をちりばめる、今ふうの話題や流行語・ギャグを盛り込む―それらは、必死に努力しているそぶりを見て貰うことにはなるかもしれませんが、本質的に国文学の真髄がひろく理解される結果に結びつくのでしょうか?

専門用語を比喩に言い換えたり、「易しい」話題ばかりを取り上げたりしている間は、問題の外縁を徘徊しているだけでしょう。一つ言えることは、ふだんから専門内容について、他分野の人でも理解出来るよう、風通しよく調製しておくことが必要だということです。なぜこういうテーマが重要なのか、なぜこういう方法でやるのか、その結果何が得られると想定しているのか、それを異なる分野の人々(あるいは研究者でなく読者)に語りかけてみるつもりで。

40年以上前のこと。高校卒業後専業主婦となった親友から突然、「貴女が何をやっているのか知りたくて、古本屋で源平盛衰記を買ってみた」との手紙が来ました(当時は校注国文学大系くらいしか入手出来るテキストはなかった)。私は吃驚し、何をやっているかを説明しようとして四苦八苦し、そしてそのことにも驚いたのです。以来、あの人に説明出来るか、を頭のどこかに置いてきたつもりですが、実現できているかどうかは分かりません。彼女は36歳で亡くなりました。