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祇王寺

日々雑録

祇王寺は桜の樹高が高すぎて、庭の苔に散り敷いた落花を楽しむ寺です。近くの瀧口寺では、丸窓の障子に映った花の影を楽しむのだと案内された記憶があります。人少なの時間に独占的に味わいたい情趣ですが・・・

徒然草には「散りしをれたる庭」(137段)や「庭に散りしをれたる花」(43段)が見所多く見過しがたいものと述べられていますが、「散りしをれたる庭」については漠然と「花が散って寂しくなった」といった受け止め方がされているようです。「しをる(しほる)」は現代語の「萎れる」意のほかに、室町期には「しっとりと潤うようなあわれが自然ににじみ出る」という意があり、時代的にいつ頃からそのニュアンスが認知されるようになったのか、気になっています。平仮名書きの本文を翻刻する際、人物が「しほる」か「(涙で濡れた袖を)しぼる」かは、一瞬迷うことがあります。