「義仲に出会う旅」の続編として、「中世文学漫歩」ブログに「源平の人々に出会う旅」の掲載を始めました。引き続き御愛読ください。 伊藤悦子
【厳島神社】
安芸守となった若き日の平清盛は、朝廷から高野山の大塔の修復を命じられます。この時、清盛は霊夢(夢のお告げ)によって安芸の厳島の修復も行い、その結果、厳島大明神から小長刀を授かります(『平家物語』巻3「大塔建立」)。それ以来、厳島神社は平家の信仰の対象となるのです。
【後白河法皇御行幸松】
承安4年(1174)、後白河法皇は建春門院平滋子(二位尼平時子の姉妹)と共に厳島神社に参詣します。この遺木は、その時に法皇が植えた松であると伝わっています。
【卒塔婆石と康頼燈籠】
安元3年(1177)、鹿ヶ谷の陰謀が発覚し、俊寛僧都・藤原成親・平康頼は鬼界ヶ島に流罪となります。康頼は千本の卒塔婆を作り海に流しますが、そのうちの一本が厳島神社に流れ着きます(『平家物語』巻2「卒都婆流」)。その場所がこの池の中の石であったと伝わっています。背後には康頼燈籠があり、後に鬼界ヶ島から帰京した康頼が奉納したと言われています。
【清盛神社】
昭和に建立された新しい神社です。清盛を祀っています。厳島神社の東側、海に囲まれた地形に位置しており、比較的穴場の神社です。
〈交通〉
宮島:広島電鉄宮島駅下車、宮島口よりフェリー10分、宮島桟橋下船
(伊藤悦子)