白河

学部2年の夏(昭和39年です)、奥の細道一周旅行に出かけました。「この指止まれ」で集まった、同級生9名というがやがや集団です。初めての自由な集団旅行だったので、新奇な体験(それぞれ異なる家庭のしつけを目撃した)の連続でした。 当時は、東北本…

日本郵政

郵便は、土曜配達をやめるそうです。最近の日本郵便のやり方を見ていると、素人目にも、本気で経営を考えているとは思えません。今どきどの企業も、油断すれば苦しくなる経営を必死に持ち上げようとしている御時世の中で、メールや宅配に追い上げられて需要…

箸尾弁天縁起

辻浩和さんから、大和国広瀬郡箸尾弁財天の縁起集『瑞夢記』(大福寺蔵)に関する論文(「大福寺所蔵『瑞夢記』について」日本文学研究ジャ-ナル10)と、『瑞夢記』の中巻第5話「遊女梅王蒙御利生事」の翻刻が送られてきました。『瑞夢記』は、奥書によれ…

つしま

歯医者に出かけました。夕立の来る前に、と早めに出て、本屋に寄りました。本屋に入って手ぶらで出て来られないのが、我が家の家風。あちこちの棚から本が目配せしているような錯覚に囚われます。当分、日本史と国文学の本は読みきれないほどの山があるのだ…

ノートルダムの雲

巴里に別荘を持っている神野藤昭夫さんからメールが来ました。毎日、だいたい23度くらいの最高気温だが、40度超えの日もあり、大家から扇風機を借りてしのいだ、とのこと。夫妻でブルゴーニュを訪れたり、気の利く娘さんが金婚式だからと言って上席を予…

雲の美しい夏、というものがあるようです。1999年の夏、放射線治療を受けていた父が入院する川崎へ向かう高速道路の空に伸びる雲が、鮮やかでした。今年はどうしてこんなに雲が美しいのだろう、と思いました。2012年の晩夏、壇ノ浦の赤間神宮を訪ね…

記し遺す

古代中国で、正しく政治の記録を遺すことは命を賭けるに値するとされていた、という有名な説話があります。暴王の悪逆を国史に記した記録係(史官)が怒った王に殺され、にも関わらず、頑として書き残そうとする者が絶えず、遂に王が諦める話です。原話は『…

湖畔小学校

我が家には祖父が北海道の釧路へ行って小学校を建てた、という話が伝わっていました。祖父は博多の大工の棟梁でしたが、私が幼いうちに亡くなったので、私には何も記憶がありません。2006年、釧路へ集中講義に呼ばれた時、学部時代の先輩がおられたので…

送り火

三好行雄先生は工学部の出身でした。終戦時は、何のためかも分からず毎日曲線を引かされていた、後で知ったがそれらは特攻機の翼の設計図の一部だった、それが空しくて文学をやろうと思った、と話されたことがあります。 論考は緻密で論理的、『作品論の試み…

和歌文学研究

「和歌文学研究」118号 2019/06/10発行 和歌文学会 鴨長明の旅と和歌 辻勝美 物語中和歌の増減と表現の異同―狭衣物語を中心にー 豊島秀範 『平家物語』の表現―叙事に泣くということー 松尾葦江 元永元年十月二日内大臣忠通歌合考 ー「両判」と…

慈円の文化圏

尾崎勇さんの論文2本を読みました。「梶原景時の頼朝救済の説話をめぐって―『愚管抄』と『平家物語』のあいだ」(『説話の形成と周縁 中近世篇』臨川書店)・「今様をうたう徳大寺実定の意味―屋代本『平家物語』からー」(「文学・語学論集」49・50合併…

庄園経営

手嶋大侑さんの論文「高子内親王家の庄園経営」(「日本歴史」7月号)を読みました。高子内親王は仁明天皇の皇女で、賀茂齋院を勤め、貞観8(866)年に亡くなりましたが、筑前国席田郡に庄園を所有し、その庄園をめぐって観世音寺と紛争があり、それに…

私的太平記研究史・補遺

学部2年から3年にかけ、一念発起して、日本古典文学大系(赤い表紙の方です)を全巻読破しました。太平記を通読したのも、たぶんその時だったと思います。幾つも印象的な場面や挿話があり、平家物語とはまた別の魅力を感じました。第3部はやたら人名が多…

2人の草分け

学部の近代文学の授業は、自然派と反自然派の二つの特講があるだけでした。隣接の大学へ、憧れの吉田精一先生の授業に潜ってみたりしましたが、4年次の後期に突然、三好行雄先生の演習が開講されることになりました。同級生で近代の卒論を書く人は1割しか…

もぐり受講・その1

学部時代、近代文学の授業が少なくてもの足りなかった(当時は未だ、近代文学は研究の対象ではない、という考えがありました)のに、隣接の教育大学には有名な吉田精一先生がおられました。3年の新学期、数人で示し合わせて吉田先生の講義(文学史だった)に…

研究報告会準備

炎天下、明翔会事務局を引き受けてくれている小野寺さんが、赤ちゃんを連れて、来春の研究報告会のうち合わせにやってきました。義妹の嫁ぎ先へ挨拶に行って、スウェーデンから帰国したばかりだそうです。8ヶ月のリンちゃんは、好奇心の塊。はいはいでどこ…

遙かな海と空に

宮古島からマンゴーが届きました。真っ赤な果実の一部がぽっと紫がかって、工芸品のような美しさです。早速、仏壇に上げました。明日はフィリピンのミンダナオで戦病死した叔父の命日。以前、本ブログにも書きましたが、終戦の6日前に亡くなった通知だけで…

写本の事情

昨日に引き続き、終日、写本の様態を細かに観察してはメモを取りました。遠くから聞こえる列車の音、よく手入れされた古い調度品、静かで丁寧な応対・・・わけあって、始めるまでは気の重い調査でしたが、2日間、3人が異なる角度から調査した結果、どうやら…

8月6日

出かける直前、TV中継が広島から始まりました。台風の影響か、雨天だそうです。川の街広島を初めて訪れたのは、56年前、幼なじみの友人と一緒に、夏の暑い日でした。原爆ドーム、原爆資料館、そして人影の灼き付いた石段も見に行きましたが、いま思えば未…

軍記物語の絵画化

石川透さんが花鳥社のサイトに、「軍記物語とその絵画化」というコラムを書いています(https://kachosha.com/) 。 この半世紀の間に、軍記物語の絵画資料がよく知られるようになりました。私も以前は近世の絵画だから、と見向きもしなかったのですが、編集…

楠公飯

京アニメ関連のニュースを見ながら、つくづく思ったのは、アニメ―ションという媒体がいかに時代を変えたか、でした。あんなに多くの人たちが泣きながら「救って貰った」と述懐するほどの影響力をもつ文学が、同時代にいまどれだけあるでしょうか。未だにサブ…

源平の人々に出会う旅 第31回「神戸市・生田の戦い」

寿永3年(1184)2月、大手の範頼軍は海沿いの山陽道、搦手の義経軍は山側の三草経由で平家討伐に向かいました。西国では平家が勢力を盛り返して福原にまで戻り、生田の森(現・神戸市)に城郭を構えていました。 【生田の森(生田神社)】 生田の森では、熊谷…

中世百首歌の生成

野本瑠美さんの『中世百首歌の生成』(若草書房)という本が出ました。序章和歌史における百首歌 1応制百首としての久安百首 2院政期歌人の試み 3奉納百首としての寿永百首 4神からの応答「天神仮託歌集」 終章百首歌が生み出したもの という構成になっ…

屏風絵でたどる平家物語

屏風絵でたどる 平家物語への旅 ―絵から読み解く文学の世界 講師 伊藤 悦子 http//www.asahiculture.jp/tachikawa/ 源平合戦を一枚の大きな絵で眺めて見ませんか? 『平家物語』を描いた屏風の中でも、一の谷合戦と屋島合戦を一対とした「源平合戦図屏風」は…

梅雨明け

東京の梅雨明け宣言が出た日から、蝉の声が蝉らしくなりました。それまでは口ごもりながらでしたが、油蝉もみんみん蝉も、それと分かるように鳴き始めました。しかし蝉時雨ではなく1匹ずつ。この界隈も続々家が建て替えられ、敷地一杯にコンクリートの箱が…

手に持つ道具

新聞の投書欄が最近、ときどき10代の意見特集をします。なるほどなあと思う時もありますが、苦笑することもなくはありません。編集部までがその短慮に同調しているような場合は、困ったもんだと思いつつも読み過ごします。 小学校で、手が変形するという理…

私的太平記研究史

軍記物語講座『平和の世は来るか―太平記』の初校が始まりました。力作揃いの1冊です。25年前、「太平記の意志」という論文を出した時、仲間から、随分肩に力が入ってますね、と言われました。それも当然、当時の太平記研究は、諸本が多くて大変だとするバ…

大天狗

菱沼一憲さんの論文「「大天狗」頼朝書状からみる政治の舞台裏―文治元年の諸国地頭制度・廟堂改革をめぐって―」(國學院大学栃木短期大学「日本文化研究」4号)を読みました。 文治元年(1185)12月に頼朝が全国に守護地頭設置を許可され、この制度が…

中世説話の環境

「日本文学研究ジャーナル」10号を取り寄せて読みました。「中世説話の環境・時代と思潮」と題する特集です。目次には、「西安の玄奘三蔵学会に想う」小峰和明、「見えない仏」本井牧子、「源隆国晩年の対外観と仏教」荒木浩、「熊谷惣領家と直実説話の継…

東京駅の恐怖

8月末の軍記・語り物研究会は、紀伊田辺で開催されるとのことで、参加可能かどうかをリサーチしました。2日目の研究発表の1番目から聴こうとすると、どうしても前日に出かけなければならないことが分かりました。 紀伊半島は、学部最後の春休み、友人と一…