コロナな日々 4th stage

ずっともやもやしていることがありますー休業要請と補償はワンセットだ、という主張についてです。必要に迫られていることは理解できますが、コロナ対策=政府の要請→収入補償という図式ですべてを捉えるのは、正しいでしょうか。

新型ウィルスの流行そのものは、一種の天災だと私は考えています。しかしその初期対応を誤り、その後の見通しがふらつき、発する対応が的外れで、しかも遅い、というのはたしかに行政の責任と言えるでしょう。そのために生じた被害は小さくありません。総括をする折には、その点をきちんと記録して後の参考にしなければなりません。ですが、この非常事態を放置して(ますます被害を拡大させ)、それでも営業の自由が優先するのでしょうか。爆発的な患者・死者が出ても、営業が成り立ちますか?

これが風水害や大地震だったら、被害は起こった後で目に見えますが、これから起こる未知数の被害をどれだけ少なく食い止めるか、という選択、それが休業要請だったわけです。先の読める天災ならば、各人がそれに備えをするでしょう。先の読めない災難の対策は、誰かが代表として決断しなければならない。とすれば、選ばれた選択の一部は、我々も為したことです。すべてを国や自治体、「お上」のせいにするのは筋違い、いや危険です。「責任は私にあります」とは言うが決して責任を取らない政治家が、「皆さんにご迷惑をおかけしています」などと言うのに乗せられてはいけません。

内神田で(道楽の)居酒屋を開いている人が、都から補償して貰わないと潰れちゃう、と言ったとの報道を見て、もやもやの内容が分かりました。職業にはつねに幾分かのリスクはつきまとう。必死の努力でも叶わぬ部分を助けてくれと言うのは恥でも何でもない、言いましょう。でも、いま全部を他に要求したら、駄目になるのは誰でしょうか。

梅雨入り前に

沖縄はもう梅雨入りしたそうで、東京も小糠雨が続きます。我が家では、今年はペチュニアとロベリアが咲いています。冬はビオラを、夏は日々草を植えることにしているのですが、その合間には、年によって入手できる苗が違うので、いわば浮気の楽しみ。長く咲き続ける花、つまりは大輪でなく小さな花をたくさんつけるものを選んでいます。

今日はロベリアの毛づくろいをしました。この花は、ある日一斉に花が枯れて、その花殻を摘んでやるとまた咲きます。細い枝を分けながら花殻を摘むのは、猿が仲間の毛づくろいをするような格好になるのです。糸のような茎を摘むと、どうしても未だ元気な花が取れてしまうことがあり、小さい花なので、きしゃごの貝殻に活けて、電話の傍に置くことにしました。

枯れ木のようだったランタナに、やっと新芽が出てきました。嬉しかったのは、石榴の蕾が新たに出たこと。春先の新芽と一緒に2つ蕾が出て、1つは咲き、1つは落ちてしまって落胆していました。本来、石榴は梅雨明け頃に咲くはずなので、これが正しい時季でしょう。石榴は、実際の実よりも花の方が、厚ぼったいオレンジ色の丸みが、何故か甘さを連想させます。毎日、落ちはしないかとはらはらしながら見守っています。

梔子にも蕾が出始めたのを発見。蕾ができる頃は、その周囲の葉が黄色くなって枯れます。花に栄養を譲り、同時に花を目立たせるための交代なのでしょう。

落ち葉を掃いたら突然、するすると蜥蜴形の小さな爬虫類が出てきて、向こうも驚いて固まりました。つぶらな目で見つめられ、狼狽しました。えっ、何?どうしてここにいるの?しかし忽ち、置いてあった木箱の中に姿を隠し、私は深追いしませんでした。蜥蜴か金蛇か、と思ったのですが、どうやら守宮らしい。我が家の守護神になってね。

特別な1年

秋山佐和子さんの第八歌集『豊旗雲』(砂子書房)を読みました。秋山さんは國學院大學の卒業生、岡野弘彦門下の歌人です。近代女性作家の評伝なども出し、歌誌「玉ゆら」の主宰者でもあります。本書は2013年晩秋、40年以上連れ添った夫から末期癌であることを告げられ、2014年11月に見送るまでの、特別な1年間の詠作458首を収載しています。

あとがきによれば、5年間は当時の詠歌ノートを開くことが出来ず、ようやくあの時は不器用ながら精一杯、夫の気持ちに向き合っていたことを確かめられるようになったとのことです。自分自身と歌とに正直でありたいと、破調の歌もそのままにした、三十一音で思いを述べると、心が立ち直り、歌の力と深い恩寵を感じた、ともあります。

私はただ、時代を超えて数多くの和歌を読んできた読者に過ぎませんが、韻文と散文との関係に関心を持ち続けてきました(持って来ざるを得なかった)。作者にとってかけがえのない特別な体験は、言述した結果、感情もろとも読者に共有される場合と、事実としては追体験できるが、作者固有の情況として理解・同情される場合とがあるように思います。一般化しようとして喪うものがあれば、そういう表現は選べませんが、機能的には散文に近くなります。本書には、両様の例が混在していると見受けられ、それが特色の1つになっています。

私が好きなのは巻頭の2首ー花びらの冬日にほぐれゆくに似る遠きひとつの恋を語るは。みづがねの色なき花の発光したれか呼びゐる真夜の液晶。

でも、こちらもいいー呼びかけに明るくかへる夫のこゑ記憶せよ踊り場も木の階も。夫と息子と話すさまざま楽しさうかうしていかう何があつても。

緑の葡萄

行きつけのスーパーがどうやら青物を仕入れすぎたらしく、安いな、と思って買ってくると傷んでいたりします。甘唐辛子3本入りのトレイを買ったら(焼いて鰹節醤油をかけると美味しい)、1本腐っていました(そう言えば暗がりに置いてあった)。枇杷も6個入りの中、3個は傷物でした。店に注意しようかなと思いましたが、マスクを掛けていると微妙な話は面倒になる。安物買いの銭失い(我が家では最も軽蔑される行動でした)の教訓を噛みしめました。

輸入果物が普及して、季節知らずの緑の葡萄が大量に売られています。かつて留学中の友人を訪ねてU.S.Aに行った時、朝食はこれと珈琲だけ。ちょっと寂しいけどおしゃれでした。マスカットほどの高級感はないしフレッシュ感もない葡萄ですが、知人から、サラダにすると美味しいですよ、と教えられました。早速、試しました。

ドレッシングをさっぱり味にするのがコツ。別のスーパーで「林檎と桜桃のドレッシング」なるものを入手したので、かけてみるとぴったりでしたが、その後、店に出なくなり(商品開発としては失敗したのでしょうか)、レモンドレッシングで代用しています。房から外した葡萄と、ベビーリーフ(レタスでは強すぎる。サニーレタスなら可)と、ドライクランベリー(味が濃いので少なめに。枸杞の実なら多くてもいいでしょう)とを合わせると、彩りもよろしい。甘い白ワインでドレッシングを手作りすると、もっといいかもしれません。きゅっと冷やして食卓へ出します。

さらに1口サイズのクリームチーズをころころ入れて、赤、緑、白の配色にしてみました。これにはシーザードレッシングのような濃厚な味が釣り合いますが、料理としては重たくなって(献立を1皿減らせる)、別種のサラダになります。

疫病退散

京都の祇園祭も、博多の祇園山笠も中止になりました。祇園社はもともと疫病退散のための社です。本来なら、今年こそ盛大に行われるべきでしたが、仕方がありません。

上代文学専門の荻原千鶴さんが、「桜蔭会会報」(お茶の水女子大学同窓会の機関紙)復刊259号に、蘇民将来のことを書いています(「疫病流行説話の周辺ー風土記の「蘇民将来」をめぐって-」)。疫病流行中に一夜の宿を求めた神を拒んだ者と、泊めた者(蘇民将来)との運命を分けた説話が、『備後国風土記逸文に見え、蘇民将来の子孫である証明が疫病からの護符となった由来が語られています。素朴な木の端切れを削って彩色し、「蘇民将来」と書きつけた郷土玩具は魔除けの人形です。人類の歴史は、疫病との戦いの繰り返しでした。医学が確立していなかった時代、疫病退散は神頼みだったのです。

平清盛の熱病は有名ですが、彼の懐刀として出世していた藤原邦綱も20日後に急死しており、両人は濃厚接触者と思われるところから、恐らく同じ感染症で亡くなったのだろうと推測されています。古来、さまざまな疫病避けのまじないが考案され、記念碑が建立されました。いま流行のアマビエもそうです。江戸時代から近代まで行われた魔除けの貼り紙に「久松留守」というのがあって、お染を疫病神に見立て、恋しい久松はここにはいないよ、来訪お断り、というアピールでした。

私はせいぜい東京っ子と東京人の間くらいで、江戸っ子ではありませんが、それでもやっぱり、疫病退散には団十郎の「睨み」がなくっちゃあ!先代団十郎襲名公演、弁慶が飛び六方で引っ込む中継放送を覚えています。昭和37年、「額にうっすら(汗の)、十一代目」という名調子でした。襲名披露の舞台(友人と観に行きました)、「ひとつ睨んで御覧に入れます」と裃の肩を脱ぐ姿も、鮮やかに思い出します。

信濃便り・揚羽篇

最近、ネット上で「あつ森」という語をよく見かけますが、てっきり一ノ谷で直実に討たれた平敦盛のことだと思っていました(当然でしょ?)。じつは「あつまれどうぶつの森」というサイトの略語だそうです。初夏になっていくこの季節、植物だけでなく小動物も、生を楽しみ始めました。

長野の友人から、メール添付で揚羽蝶の写真が来ました。やや暗いのは、明け方の室内で撮ったからです。新聞紙は勿論、信濃毎日。

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生まれたての揚羽蝶

[一昨日、妹が育てていたチョウが羽化し、濡れた羽が乾くと、飛び出して行きました。飛び立つ前、体を休めている写真をお送りします。カラスアゲハだそうです。]

友人の一家は、もう子供たちは独立し、故郷にUターンした70代の3人暮らし。地元の文化財保護など忙しいのに、何度か失敗しながら揚羽蝶の孵化に挑戦しているのは微笑ましく、共感を持ちます。子供の目がなくなったからこそ、やってみたいことがある。

揚羽蝶は平家の紋所でもありましたが、蝶の中でもやはり特別に思えます。子供の頃は紋白蝶、紋黄蝶、それに酢漿草につく紫蜆が、身辺にありふれた蝶でした。夏が近づくと、揚羽の仲間がひらひらと舞い出てきて、その度にはっとしたものです。キアゲハ、タテアゲハ、アオスジアゲハ(ヤブカラシの花が好き)、カラスアゲハ(鬼百合の花によく似合う)・・・今でもたまに、彼らに出会うと胸がときめきます、その日は何かいいことがありそうな。

我が家でも鉢植えの金柑の木に、蛹が出現したことがあったのですが、ある日忽然と姿を消しました。雀か鵯に食われたのでしょう。あいつら梔子の青虫を退治してくれるのは、嬉しいけれど。

缶つま

買い物の回数を減らせ、とのことなので、保存食を点検しました。私たちの世代は未だ、乾物を少しずつ揃えておくのが習慣になっている時代に、主婦になったのです。例えば海苔、干し椎茸、だし昆布、とろろ昆布、削り節、麩、素麺、栃木名産の湯葉と干瓢。ドライフルーツでは枸杞の実(粥に入れると薬膳になる)。この中、麩は優れものです。汁物だけでなく煮物にも、洋風料理にも使える。オニオンスープやトマトソースで煮込んでもよし、非常時にはそのままパンの代わりに食べられます。

この頃缶詰を食べなくなったなあ、と箱を引っ張り出してみて吃驚。秋刀魚蒲焼の缶つまから汁が零れ出て、他の缶詰のラベルがべとべとになり、錆が出てしまっていたのです。缶つまは缶詰ではなく缶入りのつまみ、なのですね。平らに置いておけばよかったのでしょうが、横向きにしてあったので、上蓋の隙間から汁が零れ出たらしい。ということは空気が出入りしているわけで、密閉されていない(有名な水産加工会社の製品ですが)。かつて、遭難した南極探検隊の持っていた缶詰がずっと後に発見されて、美味しく食べられたという話を読んだことがあり、缶詰は半永久的なものと思い込んでいたのは間違いでした(そもそもあれは、南極という天然の冷凍庫の中だった)。

我が家ではアイスクリームを必ず、冷凍庫に保存しています。万一高熱を出した時に食べられる栄養食は、アイスクリームかプリンだけだからです。しかし非常時には、冷蔵庫はあてにできません。乾物や缶詰と食べられる野草とで数日しのいだら、その後は行政が何とかしてくれるのではないかと考えています。知人からは、水仙と韮を間違えたら大変と言われましたが、そんなへまはしません(葉の手触りが違う)。

買い置きすると、毎日、賞味期限を確認する作業が増えます。