コロナの街

都知事記者会見の後、スーパーへ行ってみて吃驚。まるで略奪に遭ったかのようでした。野菜・果物で残っていたのは馬鈴薯と牛蒡と蜜柑だけ。肉も魚介類もなくなり、麺類の棚は洗ったかのようでした。いつもは見慣れぬ店員(本社から応援に来たのか、いかにも事務職風の中年男性が複数)に、どうしたのかと訊くと、外出禁止令が出たから、と言う。そんなもの出てないよと思いましたが、主婦たちの受け止め方はそうだったのでしょう。今日だけでどのくらい売り上げたのか、と取材すると、いつもの3倍とのことでした。お惣菜だけが売れ残っていました。

翌日は、卵とカップラーメンが綺麗になくなっていましたが、野菜・果物は補給されていました。街には、目の泳いでいる男性たちが出歩いていて、自転車が突進してきたりスマホ歩きのまま停まらなかったり、まるでロボットのように平然と行列に割り込む人がいたり、何だか妙な雰囲気です。

1,2週間が瀬戸際だと言った総理記者会見ゆえに、そろそろピークを越したと思った人たちが多かったのでしょうか。私もです。しかしCOVID19の終息は全く見えません。6月には、要・急の会議を設定しなければならないので、関係者とメールをやりとりしながら、対策をあれこれ相談しています。スカイプやテレビ電話は、技術的にはともかく、未だ周囲の事情にうまく当てはまりません。

不幸なことは、現政権の統計数値や経済政策、殊に国民への誠実さに信用が置けなくなっていることです。民、信なくば立たず。こんな大事な時に。

宅急便

昨夜、ジブリのアニメ「魔女の宅急便」がTV放映され、ツイッターには#ができました。それを辿って、今どきのアニメの楽しみ方(トリビアルな知識を交換)を知ったのですが、私がかつて最も印象に残ったことを誰も言っていないようなので、書いてみます。

この映画を観たのは、鳥取に勤めて4年目、夏休みに入ったばかりの7月でした。外は30度越えの晴れた日曜日。日比谷でロードショーを観るような気分(鳥取にも封切館があった)で、窓口で切符を買う時に「座れますか」と訊きました。一瞬、間があって、座れます、という答えと共に団扇を1本渡されました。ん?と思いながら入ってみると、客は私のほかに2組いたでしょうか。暗いコンクリートの建物の中なので、冷房はかかっていませんでしたが、団扇でしのげました。

評判通り、女の子の元気が出る作品でした。当時、「魔法使いサリー」とか「ひみつのアッコちゃん」とか、魔法使いの少女を主人公にしたアニメが流行ったので、その流れだなと思い、ただ、一度は挫折しかかるところや個性の強い人物が複数出てくるところが、TV用ではなく映画作品だなと満足して帰りました。印象に残ったのはエンドロールで、親になった黒猫ジジが、空を飛ぶキキの傍で、2匹の我が子に紐をつけ、口に咥えながら箒に乗れる訓練をしていたことです。次世代が育っている映像を幕切れシーンに使うのは、当時のドキュメンタリー番組の定番でしたから、映画はエンドロールにもメッセージがあるんだ、と感心したのです。

食料に困っていないか、と長野の友人から宅急便が送られてきました。届けに来たヤマトのお兄さんに、「このところ(コロナ騒ぎで)流通業は大変なんだって?」と取材してみたのですが、引っ越しの季節なんで、との返事で拍子抜けしました。

2つのブログ

お勧めのブログを2つ、紹介したいと思います。1本目は「チョーサー・アーサー・中世浪漫」https://kittozutto.hatenablog.com/

英文学者の多ヶ谷有子さんのブログです。始めたばかりで未だ読者もあまり登録されていませんが、話題が広く、何よりも人生を楽しむのが上手な多ヶ谷さんの、本領発揮というところ。メルヘンのようなヘッダーは、多ヶ谷さん自身が描いたそうです。

もう1本は、「アルツハイマーとともに~おママの貼り絵日記」という題で、同居するお母さんがアルツハイマーと診断されて以来12年、泣いたり笑ったりしながらお母さんの作る貼り絵を紹介しています。https://harienikki.hatenablog.com/

この貼り絵が素晴らしいのです。ぜひ一度、アーカイブからずっと、絵だけでも見てください。初期には左右対称や構成に凝った作品が多かったのが、しだいに自由になり、白紙に文様がばらまかれたような構図が増えていて、どちらも面白く、楽しめます。画集にしたり額に入れて飾ったりするより、手許で使いたい作品ばかりなので、絵葉書になったらいいのに、と思ったりしました。親子三代、絵心のある一族なんだなあとブログを見ていたのですが、お母さんは若い頃には皮革装幀をやったことがある、と知って一遍で納得しました。ブックカバーにしたら素敵!絵葉書なら便利堂、ブックカバーなら紀伊国屋書店とか丸善の営業マンに、ぜひ見て欲しい。

尤もご本人は、自分と家族の楽しみで、マイペースで作りたい、と仰言るかもしれませんね。それはそれで、尊いことです。

平家歌人

中村文さんが花鳥社公式サイトに載せた「歌人としての平家一門」を読みました。

https://kachosha.com/gunki2020032401/

中村さんはまず、覚一本『平家物語』では、平忠度が単なる武人ではなく文武両様を自らのアイデンティティとする人物として造型されていること(巻7「忠度都落」・巻9「忠度最期」)を述べ、その父忠盛では階層上昇の手段に過ぎなかった和歌が、経盛・忠度の世代になると、同時代の歌人との交流や文芸的作歌活動、歌学への関心などへも展開していることを指摘します。その孫の世代に当たる資盛もまた積極的に歌合に参加し、当時の歌人たちと交際していることも述べています。

かつて谷山茂氏は、平清盛の政治権力や経済力によって裏付けられた、平家歌壇という名称で一時代を代表する集団として彼らを把握しましたが、中村さんは、清盛の政治権力と彼らの作歌活動とを結びつける必然性には否定的です。

そして、覚一本『平家物語』が取り込んだ忠度の歌や、延慶本『平家物語』が採用した行盛の歌(『新勅撰集』に読み人知らずで採られている)には、彼らのその後の運命を象徴する機能が含まれており、単なる名歌、代表作としての掲載ではないことを指摘します。説述性よりも映像と情調を喚起する力を重視するのが中世和歌の特徴で、『平家物語』作者は、そのことをよく理解していた、と結論づけました。

和歌と軍記物語の関係は、単なる典拠論だけでなく、もっと幅広い視野で論じられていい問題だと思います。文学の成立契機に迫っていく道でもあるでしょう。そもそも国文学を、韻文と散文とで別物のように扱うのがおかしい、そう考える時機が来ています。

さまざまの事思ひ出す桜かな

短い原稿を送り出し、ゲラは当分来そうにもないので、花見に出かけました。例年、友人と歩くお決まりのコースがあるのですが、今年は友人が月末まで来られないというので、その日まで保ちそうな木を下見することにしたのです。

15日には、東大工学部棟の脇の並木が満開でした。23日には南大塚の並木が7,8分咲き。今日はまず伝通院へ行ってみましたが、ちょうど葬式の終わったところで、車の出入りが慌ただしく、境内の巨木2本をゆっくり見ることはできませんでした。歩いて播磨坂まで行ってみると、9分咲き。見事です。連翹や海棠、ベツレヘムの星と呼ばれる花韮が足元に咲き乱れ、子連れのママたちが大勢いて、賑やかでした。

播磨坂は昔は清水谷といって、「太陽のない街」と呼ばれた零細印刷業者が並ぶ路地へと降りていく坂でしたが、いつの間にか高級マンションが建ち並び、セレブ(?)の住む街になりました。スイーツ自慢らしい小さな喫茶店があったので、桜並木を見渡す席に座って、カシスのケーキと珈琲で一服しました。濃厚な味のケーキです。シュークリームが人気商品だというので、テイクアウトしました。高校時代の母校の裏を通り、学部時代の母校まで、休み休み2時間半歩きました。母校の門前に4本並んだ桜は、2分、5分、3分、9分咲きとまちまちでした。

教育大跡地(教育の森公園)には古木の桜並木があります。あちこち剪定されて不思議な樹形ながらも見事に咲き、間に若木も植えられていました。年を取ると桜を観るのに感慨があります。若い時はそんなことは想像もしなかったのですが、今年も桜を観ることができた歓び、過去に眺めた桜の思い出、自分がもしも別の人生を歩んだとしたら、そして来年は、どんな状態でこの花を観るのだろうか・・・と。

太平記秘伝理尽鈔と史料

今井正之助さんの論文「『太平記秘伝理尽鈔』と「史料」―楠木正成の出自をめぐって―」(「日本歴史」862号)と「『太平記理尽図経』覚書―『『太平記秘伝理尽鈔』研究』補遺稿4ー」(「愛知教育大学大学院国語研究」27号)の2編を読みました。後者は副題にある通り、今井さん畢生の大著を自らこつこつと補充し続ける1編。前者は、近年の日本史学楠木正成の出自を得宗被官とする傾向について、一部の史料操作に問題があることを、快刀乱麻を断つが如く再検討・論断したもの。

林羅山の『京都将軍家譜』『鎌倉将軍家譜』、浅井了意の『本朝将軍記』、馬場信意の『南朝太平記』を初め『鎌倉北条九代記』、『高野春秋編年輯録』、『紀伊風土記』などいわゆる「史料」として使われるものの大半が、『太平記秘伝理尽鈔』の影響下にあることを次々に断定していきます。この頃の論文が、妙に気配り用心が行き届いて歯切れがわるいのに比べ、今井さんは小気味よく判定を下していきますが、その裏には膨大な実証作業があること(例えば楠木石切場の所在地名を、旧土地台帳を請求して調べるなど)、暢気者の私には目眩がしそうなくらいです。

しかし『高野春秋編年輯録』などは、虚心坦懐に読んでみれば、史料としてはあまりに物語的要素が目立つなど不審が多いのに、『平家物語』の注釈でも永らく使われていました。こういう作業がなければ、いつまでも、軍記物語が史学を誤らせるといった批判(それは軍記物語の咎ではない)が絶えないでしょう。

それにしてもこの広大な探索範囲、粘り強さ、人並み外れた精力・・・こういう人の仕事に遭遇する時、石川啄木のように思わず呟くのです―花を買い来て妻と親しむ。

共存社会

ノーベル賞受賞者山中伸弥さんが、使命感を以て開設したというHPを覗いてみました。https://www.covid19-yamanaka.com

一つ引っかかったのは、選抜高校野球が中止になったことを取り上げ、球児たちの潔さに涙が出そうになった、高校生だけの社会なら中止にはならない、感染症に抵抗力のない高齢者のために、という言い方をしていることです。そもそも高校生だけの社会というあり得ない想定から説き起こしていることに違和感を持ったのですが、あたかも高齢者のために高校球児が犠牲を払うかのような、誤解を呼びやすい、情緒的な表現は御免を蒙りたいと思います。

今回の新型ウィルスは、潜伏期間が長い、感染しても発病しない人が感染を広げる可能性がある、一旦感染しても免疫ができるのかどうか不明、という点が厄介です。そして国ごとに医療体制や衛生管理に大きな差があるにも拘わらず、人の往き来が国境を無きに等しくしている現状があります。

危ないのは、高齢者だけではない。免疫力の弱っている人、もっと分かりやすく言えば体力のない人は、感染すると重篤になる可能性がある、と言うのが正しいでしょう。そして我慢しているのは若者だけではない。各地の老人ホーム、慢性療養型病室の多くが、家族さえ面会禁止になりました。高齢者には残された時間は貴重です。中には何故家族が会いに来ないのか、得心できない人もいるでしょう。

今回の感染症があぶり出すのは、天災人災が地域限定でなく国際規模で、被災者が日常社会の中に入り交じって発生し、そこから波及する問題が多岐に亘るという状況を、果たして我々が克服できるか、という危機です。

鎮静に1年以上かかるというならなおさら、お互いに立場がいつ入れ替わるか分からない。それぞれができることを、真逆の立場を想像しながら続けていくことが必要になります。ゆくゆくはこのウィルスとも共存できる技術を、科学者は早く見つけて下さい。