納税者の意地

所得税を納めました。久しぶりに還付でなく納付だったので、朝、緊張して銀行へ出かけたのですが、手続き書類の一部を忘れ、一旦帰宅しました。ちょうど正午のニュースで、財務省の書類書き換えが報じられ、納付期限は15日なのですが、ぜったい今日中に納める、と決意して、また出かけました。国有財産を不当に、不明朗に売った話がこれ以上大きくなると、納める気がなくなりそうだからです。

友人も、年金所得だけなので本来なら確定申告はしなくてもよかったが、電子申告をしてみたら数千円の納付という回答が出たので、意地でも納めると言っていました。納税者の意地―誰が主権者なのか、分からせてやる、といった気分でしょうか。馬鹿げているようですが、国民はこんな気分で税を払っているのです。

これ以上、こういう事件で官僚を潰すのはやめて欲しい。もとはと言えば、筋違いの口利きをした人、それを利用しようとした人々、それを「忖度」した者たち(結局は保身のため)の心得違いです。庇いようはありません。許せないのは、何とか国民をごまかせると考えていることです。

元来、官僚と政治家は、異なる立場から同じ問題を解決していく関係にあるはずです。政治家も官僚もその立場を忘れてはいけない。詳しくメモっておいた現場の人は、それなりの役目に忠実だったために苦しくなってしまった。あってはならないことです。

紀州根来寺

根来寺は境内がだだっ広くて寂しかった、という記憶があります。学生時代の紀伊半島一周旅行だったか、その後調査旅行か学会参加のついでに寄ったのか、覚えていません。近年は考古学、日本史、仏教文学など各方面からの研究成果が世に出ています。山岸常人編『歴史のなかの根来寺―教学継承と聖俗連環の場』(勉誠出版 2017)もその一つで、科研費による共同研究のシンポジウムの報告書を兼ねています。

本書を拾い読みしながら、高野山大伝法院との関係、13世紀半頃の根来寺周辺と頼瑜の行跡、中世真言寺院の性格など基本的な問題のありかを理解することができました。この方面に詳しい人からは何を今さら、と言われそうですが、延慶本平家物語が延慶年間、そして応永年間になぜ根来寺で書写・改編されたのか、という永年の疑問を、軍記物語研究の面からどう解きほぐすべきか、方向性を探しあぐねていたのです。

延慶本古態説が永く平家物語研究を囲い込んで来たことの功罪両面については、すでに述べたことがあります(「中世文学」60 2015/6)が、研究者の多くが延慶本を代表本文として使うことに疑問を持たないのは、根来寺という環境での書写・改編作業が、いきなり平家物語の成立に結びつけられたからではないでしょうか。私は現存の読み本系諸本は、成立後それぞれの場で特化した平家物語だ(源平盛衰記は事情がやや別)と考えているので、延慶本についても書写・保存環境と文芸的性格との関係、また中世以降の伝来・流布が、逐次明らかになるのを待望しています。例えば山田孝雄から遡って、延慶本の複数の写本の伝来を調べてみるなど如何でしょうか。

喫茶店今昔・その2

世田谷のある駅裏に、「提督」とか「艦長」とか訳す、いかにも男のロマンらしい名の小さな喫茶店がありました。入り口はうらぶれた感じでしたが、中はあかるくて、何よりもカウンターやテーブル、銀色の砂糖壺がぴかぴかに磨き上げられているのが印象的でした。無口な男2人でやっていて、いつも銀器を磨くか珈琲豆を1粒ずつ選っていました。小鳥の絵のついた小さな飾り皿が壁に掛けてあるのが唯一の飾りで、花も何もありません。それが、清潔なゴージャス感のもとになっていたのです。

私はたまに昼下がりに入るくらいでした。カウンターの男性客とマスターの会話も静かで、何だか雰囲気を緩めたくなかったからです。

ある日、その雰囲気ががらりと変わりました。マスターだった兄が子連れの女性と結婚し、再婚妻が張り切って弟を追い出し、店を仕切り始めた―事実かどうかは分かりません、私が勝手に描いたストーリーです。そういう雰囲気に変わった、と思って下さい。

ちょうどマスターが外出していて、カウンターにいた女性が私を見ると、「こちらへ」とカウンター席を指定しました。店は空いていたし、私は本を読みたかったので、窓際へ座る心算だったのですが、しかたなくカウンターへ座りました。女性は、離れたテーブル席の知り合い(ママ友?)とカウンター越しに話をします(つまり、店中を仕切る)。おでん屋やお好み焼き屋じゃあるまいし、と思いながらふと見ると、カウンターには木槿の花が活けてありましたが、庭先から剪ってきたらしく、大きな蟻が蘂を這い回っています。そこへマスターが帰ってくると、女性は、さっき風体の怪しい客が来て困った、という意味のことを息せききってまくし立て、私はついに悲しみに耐えられなくなり、思わぬ言葉が口から出てしまいました。この店はほんとに好きだったのに、と。そのまま勘定をして店を出ました。木槿の蟻のことは言いませんでした。

以来15年、あの店に行ったことはありません。ネット検索したところ、あの名前が食べログに高得点で出ている。何度も見直しましたが、あの場所です。珈琲豆を選っているマスターがいい、とのこと。歳月は何を変え、何を変えなかったのでしょうか。行ってみたい気もしますが、そっとしておきましょう。

喫茶店今昔・その1

地方勤務だった頃、帰京するのは夜遅くで、家の冷蔵庫は空っぽでしたから、翌朝は喫茶店でモーニングを摂りました。世田谷在住の時は、駅前の喫茶店に、買い立ての朝刊を持って入り、つかのまの自由を楽しんだのですが、いつも、初老の男性集団がかさばりながらお茶を飲んでいて、ちょっと異様でした。何らかの組織とは関わりがある(上下関係がある)らしいが、きっちりした統制ではない。聞くともなく聞いていると、高速道路の料金所勤務の一団が、交替の後くつろいでいるのだと分かりました。

かつて高速道路の料金所には若い、働き盛りの男性がいましたが、その後定年退職後の公安関係者になり、今は女性もいるようです。人手不足が言われ始めた頃、料金チェック程度の軽作業に若い人手はもったいない、という議論が国会でなされ、道路公団側は、料金を踏み倒されないためだと答えたそうです。「高速道路で、車を走って追っかけるのか」と、笑い話になりました。

便利な喫茶店でしたが、チェーン店になったらしく、店主がおざなりな仕事をするようになり、レタスにアブラムシがついていたり(洗っていない)、ウェイトレスのロングヘアがカップの上に垂れ下がったりする(働く身なりを教えていない)ようになって、行くのをやめました。その頃からコンビニが早朝から開いているようになったのです。

今はうっかり喫茶店でお喋りすると、うるさい!と言われます。喫茶店では本を読む人、うとうとする人、談話する人が混じっているものと思っていたのですが、最近はみんなPCを持ち込んで、独りで時間を過ごすようです。

共同体の祝祭として

大津雄一さんの論文「『平家物語』という祝祭」(「古典遺産」66 2017/3)を読みました。大津さんは、文学はすべからく共同体のガス抜きとして機能する、というのが持論です。おしゃれな人なので、冒頭からにぎやかで、楽しそうな(『シャーロックホームズ最後の挨拶』から始まる)論文ですが、あちこち立ち止まりながら読みました。

戦争を崇高なものととらえるのは「人の本質的で普遍的な世界理解のありよう」、人は「暴力的エンターテイメントに普遍的に喜びを感じる」というのは、本当でしょうか?そういう性向をもつ人間もあり、そうでない人もいる。但し、熱狂的で巧みな宣伝が始まると乗せられてしまうのは、かなり多くの人の本質であることはたしかでしょう。集団に同調できる感性は美徳とも考えられ、それを持たない、もしくはその沸騰点が極端に低いと社会の中で生きにくい。しかし血や暴力の表現を生理的に受け容れがたい人もいる、いや私は、程度の差はあれ、その方が普遍的な生物感覚だと思っていました。そういうわけで、そもそもの前提から躓きながら読んだわけです。

疑問は幾つもありますが、平家物語(語り本)がグロテスクな表現を忌避している第一の理由は、何をテーマとする作品なのかということと関わるだろう、と思います。平家物語が描きたかったのは、戦場の殺戮や民族意識の高揚ではなく、戦争は我々に何をもたらすかではなかったでしょうか。その点を、ぜひ太平記と比較して論じて欲しい。また享受者が戦場の残酷さを想像しにくい第二の理由には、語りが関わっているのではないでしょうか。この点は、私もいま考える必要に迫られているところです。

それから、平家物語の笑いについても、物語の構成や芸能としての語りと関係させて考える必要があり、そういう観点の論は多くないことに気づきました。なお本論文には註6が抜けています。

おあむ物語の描写には粛然とさせられます。時代の相違(文学に書いていいこと、書けることの変化、つまりは「文学」という器の変化)について、考えねばならないのでしょう。

苺の開発

宇都宮に勤めて以来、苺はとちおとめを買うことにしています。以前はパックの底部に赤くない実を詰めたりすることがありましたが、この頃はそういうこともなく、平均して美味しい。苺は絶えず品種改良される宿命にあるようで(同品種を長期間同じ畑に植えておくと、病害が発生しやすいのだそう)、それぞれにお国自慢の銘柄があります。

福岡の親族に贈答用の苺を送る時、宇都宮の果物屋に、あっちにも苺の名品(とよのか)があるから、笑われないようにね、と念を押したら、「まかしとけ!」と言われました。幼稚園経営の叔母に送った時は、桜桃のように2粒つながった種類や、蔕が翼のように広がった品種を選んで、子供たちに喜ばれました。

石垣苺が開発されて、産地が県を挙げて売り込みを図っていた頃、父が全国物産展のレセプション(立食パーティだったらしい)で、その県の担当者と出会い、強力に宣伝されたことがあったそうです。初めは頷きながら聞いていた父が、しきりに酒を勧めた後、「大きな苺もいいんだけど、大きすぎるのもどうもね」と水を向けたところ、相手はぽろりと「そうなんですよ、何だかはんぺんのようで」と答えたとかで、爾来、我が家では異形の大きな苺を「はんぺん」と呼んでいました。

五輪で異国の苺に癒やされた運動選手たちには、弊国の苺を贈って、味わって貰ったらどうでしょうか。知的財産権だの逸失利益だのと国が騒ぐのは、大人げない。農家へ国際品種登録を啓蒙することは必要でしょうが。

体の幅

校正刷の戻しを発送しに出かけ、ついでにスーパーで買い物をしました。街中の狭いスペースに出来たスーパーなので、棚の間をすれ違うにも苦労します。年を取ると体の幅が広がるのを知っていますか。バランスを取るため脇を締めずに歩くからです。

明らかに定年後の再就職でやってきた、体格の大きな男性店員がいて、商品の点検や配架を担当しているのですが、当初は通路を一杯に塞ぎ、お客よりも自分が優先で動き回るので、邪魔でした。1年半ほど経ってこの頃は、同じ姿勢をしていてもちゃんと客の通る空間が出来るようになりました。通路でぶつかれば、客に譲るようにもなりました。誰かが注意したわけではないようです。やっと第二の(?)職場になじんだね、おめでとう、と呟くような気持ちで通り抜けます。

世田谷で頼んだ内装屋は、もう高齢でしたが、狭い空間を上手に通るので褒めたら、若い頃体操選手だったので、と言っていました。猫は口髭で体の幅を測る、と聞いたことがありますが、年寄りは自分がかさばっていることを自覚していないことが多い。電車やバスで座っても、ぴしっと1人分の空間に収まりません。

街はすっかり暖かくなり、区の名所旧跡ツアーの一行がうろうろしています。老若男女ですがやはり年寄りが多く、道一杯になって歩いて来るのですれ違うのが苦手です。