物質の年代と文学の「時代」

地質学専門の中学時代の同級生が、自分たちのやっている研究会で発表しないかと誘ってくれたので、土木工学・地形学・地質学・地震学などを専門とするシニアの研究会・資源セミナーで、「物質の年代と文学作品の「時代」」と題して、炭素14年代判定法が平家物語研究に与えた衝撃(が正しく受け止められていないこと)について話をしました。長門切の話です。

専門の異なる方々が熱心に聞いて下さり、英文学の多ヶ谷有子さんや中古文学の圷美奈子さんもそれぞれパートナーを連れて聴きに来て下さって、恐縮しました。発表後、例えば非破壊検査で墨の年代を判定することなどはできないのかという質問が出たり、そういうことはきっと出来る、出来る人を見つけるために、この11月に科研費を申請して理系の人と共同研究をしてはどうか(私はもう所属機関がないので科研費申請は出来ない)と勧められたりしました。元気が出ました。

もう1本の発表は活断層についてで、専門用語や研究史が分からないまま聞きましたが、活断層というものについては、災害報道や政策立案では断定的に言われていることも、じつは未だ仮説や推定部分が多いのだということを知らされました。

帰りに地質学専門の人とお茶を飲んだのですが、現役時代、調査のために山岳を歩いて、熊や羚羊に遭遇した経験談を聞きました。帰路、夕立が上がった路傍では秋虫が鳴き始めていました。

奨学金問題・その2

6月下旬に奨学金問題を扱った新書がさらに1冊出たことを知りました。

今尾晴貴『ブラック奨学金』(文春新書)

私は未だ読んでいませんが、ネット上に要約や読者の感想が出ていますので、およその内容を知ることができます。統計の数値は、恐らく2月に出た『奨学金が日本を滅ぼす』(朝日新書)、『奨学金地獄』(小学館新書)と共通していると思いますので、改めてここでそれらを繰り返すことはしません。

ただ、次のような問題点はひろく認知して欲しいと思います。①奨学金制度は2004年を境に大きく変わってしまったのに、親・教師の世代がそれを十分理解していないこと、②ローンやクレジットカードの普及に伴って「借金」を怖いと思う感覚が鈍麻したこと、③ライフサイクルの変化により子の進学と親の定年がぶつかる場合が多くなったこと、④以上にも関わらず高等教育の費用は右肩上がりに上がり続けていること(国公立教育機関の授業料が私立に接近し、努力次第で安い学費を選べる機会がなくなった)。殊に①については重要です。当時、奨学金の返済率があまりに低くなり、育英会の事務方の怠慢だと批判が強かったことは覚えているのですが、その結果、今のようなシステムに変えられたことを詳しくは知りませんでした。通常、貸し付けに当たっては返済能力の審査があるのに、奨学金では将来の事情は分からぬまま(現況では、大学を出たからといって定収のある職に就けるとは限らない)貸すのだから、回収に当たって闇金サラ金並みの取り立てをするのはおかしい、という指摘は尤もだと思います。②についてですが、親は奨学金を借りるに当たって、子自身に当事者であることをよく認識させて欲しいものです。通常の住宅ローンでもなかなか元金は減っていかず、およそ借りた額の2倍を返す心算でいろ、というのは常識でしょう。奨学金ではその上、ややこしい延滞金制度などがあるのです。

私がこの頃の奨学金はどうも変だ、と思い始め、友人の「奨学金という名称は詐欺に近い」という言葉を理解出来るようになった経緯は、また別に書きたいと思います。高校の進路指導担当者、大学人、そして文部官僚と文教族の議員には、ぜひこの問題を我がこととして考えるよう、望んでやみません。

終末ケアの人材育成

東大の臨床死生学・倫理学研究会主宰の公開講座「高齢者のエンドオブライフ・ケアにおける人材育成」を聴きに行って来ました。明翔会の一員山本栄美子さんがスタッフとして世話をしている講座です。講師は桑田美代子さん、青梅慶友病院に勤める、老人看護専門看護師です。

今回は、実践の場で数十年やってこられた、いわば看護の哲学に裏付けられたお話でしたが、一々が納得できる、理想的なケアの報告でした。ただ、入院費用はかなりのものらしく、HPで調べてみると4人部屋でも月¥34万はかかるそうです。

自分の家族が看取られたい病院、というキャッチフレーズを掲げて工夫を重ね、プロの誇りと責任をもつ人材を育てて、多様な職種が協力できる現場を具体化してきた実績は重いものです。しかしすべての現場がこのようなやり方ができるわけではないとすると、どれだけ、どこまでとりいれることができるか、あるいはどの点を外してはならないのかを関係者が切実に検討する必要があるでしょう。桑田さんはオーナーの理念が大事、と言っていましたが。

仏を見るということ

本井牧子さんの論文を2本読みました。

『釈迦堂縁起』とその結構(「國語國文」5月号)

海を渡る仏―『釈迦堂縁起』と『真如堂縁起』との共鳴(『ひと・もの・知の往来』勉誠出版

嵯峨の清涼寺の釈迦像は、自らの意志で辺土日本へ渡ってきた仏である(だから末世の辺土に生まれた我々には特別に有難い)という伝説がありました。『宝物集』の出だしが、その釈迦像が天竺へ帰ってしまうという噂が立ち、その前にぜひ、と押しかけた人々の間で語られた、という設定になっていることは有名です。

本井さんの論文は『釈迦堂縁起』の構想を読み解き、さらに『真如堂縁起』が『釈迦堂縁起』を下敷きにして、本尊阿弥陀像に渡来仏のイメージを附与したと推測していますが、印象深かったのは「仏を見る」ということについての指摘です。縁起絵巻の最後に仏像が描かれていないのはわざとのことで、意味があったのです(原始仏教では仏の姿は偶像化してはならないもので、塔などを代用の象徴として描くか空白にしました。私は単純にその名残と考えていたのですが)。

仏教では、この世に生まれて命あるうちに仏の教えに出会える確率は、大海に浮かぶ盲目の亀が流木に行き会うようなものだと教えます。本井さんの論文から、中世の信仰と表現のあり方、絵画資料の読み方などのヒントを貰いました。近年、仏教資料の研究はひろく学界を覆っていて、ときに酸素不足になりそうな感じをもつことがありますが、方向の明確な、読んで楽しい論文2本でした。

河童忌

今日は河童忌です。昭和2年に芥川龍之介が自殺したのも暑い日で、暑さに腹が立って死んだんだろう、と友人たちが悲しみを紛らかすための冗談を言い合ったそうです。

文学を、人生を、教えて貰ったのは芥川からでした。もっと正確に言えば、吉田精一著『芥川龍之介』という、今は古典となった伝記に道案内して貰いました。講談社の幼年向け雑誌に載っている勧善懲悪の物語から脱出して、不条理だらけのこの世に生きていくこと、その不条理に言葉で対峙することを教えて貰い、大人への1歩を踏み出したのです。14歳の晩夏でした。我が家にあった1冊本の芥川龍之介全集から始まり、台風の夜に「歯車」や「或阿呆の一生」を徹夜で読み終わって、閉め切った雨戸を開けたら、隣家のピアニストが弾くジャズナンバーが世界に(私にとって、このとき外界は新世界だったのです)流れていたことは、忘れられません。台風一過、濡れた木の葉がきらめく朝でした。

ずっと後になって、英文学出身の亡母が、昭和2年7月24日、「芥川さんが死んだ」と言って泣いていた(勿論、知り合いでも何でもありません。一読者です)ことを、従姉から聞かされました。当時16歳だったはずで、思い出の少ない亡母がにわかに身近に感じられました。

軍記と語り物

軍記・語り物研究会に出ました。岩橋直樹さん「治承寿永の乱の中の墨俣合戦」の発表は、ちょうど新出長門切とも関係があるので聴きに行ったのですが、とてもよく勉強していることが分かる発表で、幸せな気分になって帰ってきました。墨俣合戦当時の甲斐源氏(武田氏と安田氏)の動向を、史料の中に丹念に追跡していました。

機関誌「軍記と語り物」53号も出ました。私にとっては末尾の研究展望や研究文献目録が重要に感じられる雑誌です。目録にごろごろ誤植や重複などミスが続出しているのが残念。誰かが、校正刷を通して素読みするだけで防げるのに・・・ほんとうに残念です。

この会はもともと、新人が集まって同人誌を出すことから始まった研究会です。この頃は大きな学会の模倣のような企画が並んで、同じ人ばかりが壇上に登る、ジャーナリスティックな指向になって、違和感を感じることが多くなりました。愚直に、会員同士対等に、向上をめざして議論したり助言したり示唆を得たりしたい。そこから新人が伸びていけばもっと嬉しい―だから研究発表を中心に、参加することにしています。

根来寺

大橋直義さん編の『根来寺と延慶本『平家物語』』(勉誠出版)という本が出ました。「紀州地域の寺院空間と書物・言説」という副題通りの15本の論考と、大橋さんの序論が載っています。何回ものシンポジウムの成果が盛り込まれているようで、地元和歌山大学に赴任した大橋さんの意気込みが力強く感じられます。

まずは佐々木孝浩さんの「延慶本平家物語書誌学的検討」から読みました。延慶本は現在最古態の平家物語として注目されていますが、だからといって延慶本の特性をそのまま平家物語の原態とみなすのは粗忽の評を免れない、とずっと思ってきました。読み本系平家物語の祖本から分岐して、寺院内で特化したのが現存延慶本であり、その後角倉家に入るまでの間、書籍として巷間に流布した証跡はありません。根来寺とその周辺が中世に一大文化地域だったことは本書で力説されていますが、延慶本平家物語との関係については、応永書写(書き換え作業を伴う)の環境を究明することがスタートだと思います。

藤巻和宏さんも本書では得意分野でのびのびと、若手の阿部亮太さんは崇徳院説話に注目して書いています。延慶本平家物語は、素材としての面白さをたっぷり蓄積した本ですが、だからこそ寺院内で利用価値があり、必ずしも史書、実録として完成させようとして管理されたのではなかったかもしれません。今後、自由な角度から研究が盛んになるといいな、と思いました。