桜の代替わり

ネットを調べたら、実生の桜を育てている人は多いのですね。やはり日本人にとって桜の木は特別なんだ、と今更のように感心しました。

宇都宮に勤めていた頃、図書館増築のため大島桜の古木が伐られることになりました。惜しんでも保存はできないとのことで、藪蚊に食われながら落ちた実を拾い集めました。株の周囲に小さな芽が何本も出ていたので、毎年たくさんの実が落ちるのに、どうして今年に限って芽が出たのだろうという話をしたら、古くからいる門衛さんが「木は自分の寿命を知っていて、枯れる前に次代の芽を育てるんですよ」と教えてくれました。聞いていた学生が「親木にもう栄養を摂る力がなくなるからでしょ」と言ったので(科学的にはそちらの方が正しい!)、つい、「おまえのように言うとつまらなくなるなあ」と言ってしまいました。

この大学には農学部があり、百年近くキャンパスが移動していないため、さまざまな実生の木を見ることができました。欅の実生が芝生の縁に沿ってまるでスプラウトのようにびっしり生え、全部大きくなったらどうなるんだろう、と心配しましたが、職員が鉢に植えて盆栽に仕立てたようです。下野の雑木林の風情になるのでしょう。

大島桜の実は脇門の空地に播いておきましたが、どうなったことやら。

白描絵巻

櫻井陽子さん・鈴木裕子さん・渡邉裕美子さんの共著(校正は鶴巻由美さん)『平家公達草紙』(笠間書院)を読みました。平家公達草紙は白描絵巻の一部が残っている3種の掌編物語の断片ですが、この本は編者たちと編集者が楽しみながら作った本です。源氏物語の影響に注視しているのは重要な視点で、覚一本平家物語以降の読者には作り物語の源氏物語と歴史文学の平家物語を別ジャンルとする制約はなかったでしょう。

この作品には謎が多く、本書の編者たちは平家物語の読者が創作した二次的物語と推定していますが、未だほかにも考える余地はありそうです。岩波文庫翻刻があります。

白描絵巻はわざと彩色しない絵巻です。この絵巻も原本は白地に墨の線書きが美しく、殊に女性の黒髪と衣装の流れるような描線の白黒のコントラストには、思わずはっとさせられます。惜しむらくは普通紙の影印だとその鮮やかさが出ないこと。絵の部分だけでも(できれば詞書も)白地に浮かび上がるような印刷をした方がよかったのでは。技術的には可能だと思いますが、コスト面で無理だったのでしょうか。

平家物語自体の白描絵巻も残欠ですが現存しています。静嘉堂文庫美術館京都国立博物館などに分蔵されているので、展示されたら一見をお奨めします。

平家物語の流動

多ヶ谷有子さんの論文「アスコラットの乙女と有子内侍」(関東学院大学英語文化学部会誌OLIVA23)を読みました。アーサー王物語の中で騎士ランスロットに叶わぬ恋をするアスコラットの乙女の物語と,源平盛衰記及び南都本平家物語の有子内侍入水記事とを比較文学的に論じた、講演に基づく論考です。

平家物語研究の方からいうと、有子内侍説話は本筋からは不必要な話(徳大寺実定が平家一門に独占された右大将の地位を、厳島神社の内侍を利用して賢く獲得した話に付随)のように見え、「琵琶行」や源氏物語を利用して拵えられた女性説話だとみなされます。源平盛衰記と南都本平家物語にのみあり、両者の記事の細部は微妙に異なっています。改めて両本を対照しながら、平家物語研究の喫緊課題を考えました。

女性説話は後補とされているがすべてそうだろうか?なぜ有子内侍説話がここに置かれたのだろうか?いま長門切の出現で問題となっている源平盛衰記の古態性(「リポート笠間」59号参照)等々、課題は続出しますが、何と言ってもいま必要なのは、平家物語の成立・本文流動の様相について旧説に囚われずに、読み本系的平家物語から十二巻本平家物語への過程を想い描くことでしょう。成立に関する結論を急ぐのでなく、平家物語の流動の方向を大きく展望した上で。例えば南都本の再検討は、その手がかりになるかもしれません。従来は現存諸本の分類に依拠して諸本の関係を想定してきましたが、南都本のように読み本系・語り本系(それも一方・八坂両方)に跨がる本が、ある時期たしかに存在していたという事実に、もっとこだわるべきではないかと思います。

大学教育の実用化

必要があって、日比義高さんの『いま、大学で何が起こっているのか』(ひつじ書房)を取り寄せて読みました。ブログから生まれた本だそうです。

 平成3年の大学設置基準大綱化の時、私は未だ現役でしたがちょうど転任したので、押し寄せる激浪の中で揉まれながらも執行部員としての役務は担いませんでした。あの時、大学に資本主義の競争原理が持ち込まれ、以後の大学のあり方を根本から変えたのだということを、どれだけの大学教員が自覚しているでしょうか。現在中堅の大学人たちもひょっとして、自分が学生だった頃の大学と同じような心算で大学の位置づけをしてはいないかー杞憂であればと思います。

私たちが学生だった頃にも文学部不用論はありました。雑談好きの教師が講義中に「無用の用」論、つまり田圃の畔で米は作れないが畔がなければ稲は育てられない、とぶったことを覚えています。しかし「大綱化」以来、大学は官立私立を問わず経営自立を求められ、つまり高等教育は国家の保護から殆ど疎外された(管理はむしろきつくなっている)のです。にも拘わらずあれこれ国から要求や規制がある(補助金や認可の問題ゆえに)のが難儀で、各大学はそれぞれに智恵を絞っているわけでしょう。

ひところ、大学の大衆化=大学教育の水準低下が騒がれた時期がありました。もう忘れられるほど大昔でしょうか。大学進学率が上がり、いっぽう少子化で大学全入が現実に近くなり、大学では何を学ぶのかが曖昧になって、しかもそのこと自体も認識されなくなっているような気がします。食えるために、一人前の社会人になるためには大学へ行く必要があるのだろうか?職業教育が大学の使命なのだろうか?そこから議論してなお、「無用の用」を主張できるか。考えてみたいと思います。

名古屋で勤務した大学にはこういう話が伝えられていました―家政学から出発したその大学が文学部を設置するとき、やはり文学が何の役に立つのかという反対論が強く、当時の学長は理系の学者でしたが、「文学部があると大学に品格が出る」と言い切って、申請に踏み切った由です。

朝の楽しみ

朝食はパン食です、朝に米食を摂ると終日体が重い気がするので。スープと果物とソーセージ、それに開腹手術をして以来必ずヨーグルトを。入院したときに辛かったのは、朝、きりっと冷えた新鮮な果物を丸1個、という習慣が崩れたことです。誰にでも、そういう一種の儀式があるのでは。

プレーンヨーグルトに砂糖でない甘味を入れることにしています。蜂蜜、フルーツソース、ジャム、コンポート・・・大きな食料品店へ行った時は、目新しい甘味を選ぶのが楽しみになっています。あまり高価でなく天然食材で、しかもちょっとおしゃれなものを。現在はマロンスプレッドですが、甘みがやわらかくて、粘らないヨーグルトによく合う。正月の黒豆の煮汁もよく合います。白いヨーグルトに墨流しみたいな模様ができます。

巴里へ調査旅行に行った時。安宿でしたのでホテルの朝食はクロワッサンと珈琲と、林檎かオレンジ1個だけ。でもそのクロワッサンの美味しかったこと。ああ巴里にいるんだ、としみじみ思いました。

あるく球根

本2冊の編集・校正が終わり、我が家の鉢の草花にも目が行くようになりました。葡萄ムスカリが咲き始めています。何故か葉が長く伸びてしまうので、饂飩の中から顔を覗かせた小蝦のような感じですが、冴えた青紫の花房が可愛い。

ムスカリは1年でたくさんの子球を作るので、花が終わって掘り上げても仏舎利のような小さな子球が土中に残り、そこここから芽を出します。草ぼうぼうで路肩に放置されているプランターなどにそっと播いておき、3年も経つと一人前に花をつけるようになります。近所の小学校の塀際に咲いているムスカリとクロッカスは、こっそり私が植え込んだのですが、抜かれたり踏まれたりしながら3年目に花をつけた時は、心中快哉を叫びました。

不思議なのは球根が翌年芽を出す時、去年の位置とはすこしずれていることです。印をつけているわけではないので、気のせいかなとも思うのですが、やっぱりうごいている。球根は冬の間、土の中で歩くのでしょうか。

中世物語資料と近世社会

伊藤慎吾さんの『中世物語資料と近世社会』(三弥井書店)が出ました。中世の物語、殊に草子や絵巻として制作されたものたちが、近世になって社会の中でどのように継承されていったかを考察した、528pという大部の本です。伊藤さんはすでに『室町戦国期の文芸とその展開』『室町戦国期の公家社会と文事』の2著を出し、精力的、かつ好奇心にみちみちた、マイペースな仕事ぶりが際だった人です。愛妻家でもあります。調査旅行に行った時、何だか慌てているので、どうしたと訊くと、カードを忘れたので妻への土産が買えない、と深刻な顔でした。

中世物語が資料として使われ、新たな読み物を生み出し続けた近世前期という時代の文化を、多様な角度から描き出しているところが本書の注目すべき点です。単なる資料博捜に留まらず、それらを生み出し、また享受・保存した環境を論によって再現しようとする姿勢は、今後も期待できます。思えば、恩師の故徳江元正さんの学統が脈々と承け継がれているといえるでしょう。