春の野菜で一献

タラの芽が安くスーパーに出ていたので、つい買ってしまいました。天麩羅が一番美味しいようですが、今どきのタラの芽は栽培なのでアクが少なく、料理法が広くなっています。洗って根元の堅い部分を削いだら縦二つ割り、刻んだベーコン少しと、柔らかくするために酒か白ワイン(なければ水でも可)を少し垂らして炒め、塩胡椒を振れば肴が一皿出来ます。めんつゆをちょっと落とした水で茹でて、味付胡麻をたっぷり振っただけでも一皿。

デパ地下で野蒜を見かけました。味噌をつけて囓るのが伝統的な食べ方ですが、マヨネーズにちょっぴり味噌を混ぜる、もしくは山葵か醤油か七味唐辛子を混ぜたものをつけて囓ると、春の野の香りがする(気のせいでしょうか)酒肴になります。エシャロットでも応用できます。かつて横浜の郊外に住んでいた時は、この季節、カタクリの花が野菜売り場に出ました。買っては見たものの花を食べるのが惜しくてコップに挿し、鮮度が落ちてからお浸しにしたのであまり美味しくありませんでした。

鶏皮をちりちりになるまでフライパンでから煎りし、残った油で芹を炒め(塩で味つけ)ると美味しい。芹は昔、身分違いの貴婦人を見そめた男が、毎日摘んでそっと届け続けたという説話から、古典文学では叶わぬ恋のシンボルになっています。

傾聴

大学図書館で新着図書を漁り読みしているうちに、「浅草寺仏教文化講座」60号(非売品)に載っている、金田諦應さんの傾聴移動喫茶レポートが眼に留まりました。東北大震災の後、軽自動車で喫茶店を開き、人々の話を聴くボランティア活動をした僧侶の体験談(平成27年7月22日に浅草寺で行われた講演記録)です。恐らく同じような活動をした方々は何人もおられたことでしょう。被災者の問わず語りを聴くことに徹し、一緒に小石で地蔵菩薩を作ったり、読経行脚をしたりしながら見聞したことを述べています。大事なことは「待つ」ことであり、当事者が語っていく物語が本人を救うということ、そしてケアの方法については、その土地の歴史や風土から生まれた文化に根ざすものが最も有効である、との指摘が印象に残りました。これは教育の根本でもあり、文学の効用にもつながることです。記憶しておきたいと思います。

分かりやすいということ

国文学の本が売れない、版元は今や危機に瀕している、分かりやすく売れる本でなければ出せない、と言われ続けています。「売れる」かどうかはともかく、「分かりやすい」本とはどんなものなのでしょうか。ですますで書く、表紙やイラストにマンガをつかう、手取り足取りイントロやリード文をちりばめる、今ふうの話題や流行語・ギャグを盛り込む―それらは、必死に努力しているそぶりを見て貰うことにはなるかもしれませんが、本質的に国文学の真髄がひろく理解される結果に結びつくのでしょうか?

専門用語を比喩に言い換えたり、「易しい」話題ばかりを取り上げたりしている間は、問題の外縁を徘徊しているだけでしょう。一つ言えることは、ふだんから専門内容について、他分野の人でも理解出来るよう、風通しよく調製しておくことが必要だということです。なぜこういうテーマが重要なのか、なぜこういう方法でやるのか、その結果何が得られると想定しているのか、それを異なる分野の人々(あるいは研究者でなく読者)に語りかけてみるつもりで。

40年以上前のこと。高校卒業後専業主婦となった親友から突然、「貴女が何をやっているのか知りたくて、古本屋で源平盛衰記を買ってみた」との手紙が来ました(当時は校注国文学大系くらいしか入手出来るテキストはなかった)。私は吃驚し、何をやっているかを説明しようとして四苦八苦し、そしてそのことにも驚いたのです。以来、あの人に説明出来るか、を頭のどこかに置いてきたつもりですが、実現できているかどうかは分かりません。彼女は36歳で亡くなりました。

なぜ57577愛

必要があって、錦仁編『日本人はなぜ、57577の歌を愛してきたのか』(笠間書院 2016。書名が長すぎる!ご無礼して略させていただきます)を取り寄せて読みました。和歌をもっと身近に、というキャンペーンの一環として企画され、研究者10人と実作者4人の「エッセイ」風の文章(分かりやすく書けという指示の下、けっきょく論文から科白劇までスタイルはいろいろ)を載せた本です。宇津木言行さんの、方言を使って詠んだ西行歌の読み解きは有益でしたし、中村文さんの、伝統と革新の問題を源俊頼から俊成・定家へと辿った論考が充実しています。面白かったのは島内景二さんの「六義園から歌を見る」。小石川育ちなので10代の頃には六義園へよく遊びに行きましたが(当時は池と松と芝が美しい庭園で、躑躅が名物。枝垂桜は最近売り出した新顔)、こんな風に広く、有意義な問題を展望できる題材とは思いもよらず、大いに蒙を啓かれました。

実作者の文章では佐藤通雅さんの「私の短歌―震災以後」に惹かれました。震災後、すぐかたわらに死者がいる、その人々の分まで語らねば、という気持ちに衝き動かされ、定型に支えられつつことばを紡ぎ、しかし1ヶ月後、自分が死んだとは知らない死者たち(しばしば幽霊のように顕れる)の存在に気づいてはたと歌えなくなり、再び定型に助けられて、死者たちとの間に架橋する心算で歌作を始めるまでを述べた文章です。軍記物語の鎮魂とは通じるところ、異なるところの両方があるーじっくり考えてみたいと思います。

金平糖

そろそろ雛飾りの用意をする時期になりました。手狭の我が家では大内塗の親王雛だけを飾り、定番の桃の花のほかにロゼワインの小瓶(白酒の代わり)、金平糖(雛あられの代わり)を並べます。ギリシャ土産の蛤1対(紫の染料を採る貝だそうです)はオプション。

昔、年上の従姉たちの豪華な雛飾りがあって、とても羨ましかったのです。ミニチュアの重箱の蓋を開けてみて叱られました。今では病院や老人ホームの入り口に、大きな段飾りが出してあるのを見かけます。

雛祭のシンボルカラー白・緑・薄紅は、雪が解け、草が萌え、花が咲く、春の到来を意味すると教えられました。新古今集の美意識が庶民化したようなものでしょうか。老舗の金平糖は角が出るまで3日3晩炒り続けるということ、職人は、炒り具合を混ぜる時の音で聴き分けるということを、最近TV番組で知りました。子供の菓子だと莫迦にしていたことを反省した次第です。

つくも神

区役所が未使用食器の回収をする日なので、何箱か持って行き、小さな石鹸を貰って帰りました。家具・器物類の整理をした日は何故か眠れません。殊に陶磁器には不思議な存在感があって、家に古くからあった品を手放す時は、人との永訣のような疲労感が残ります。

室町物語(御伽草子、中世小説ともいう)に、煤払いの日に捨てられた古道具たちが人間を恨み、化け物となって祟ろうとするが折伏されるというストーリーの「付喪神(つくも神)」という作品があります。百鬼夜行絵巻などにも影響を与え、一見ユーモラスなようですが、器物類の断捨離を始めてからは何となく他人事とは思えなくなりました。

パンを買いに

パンを買いに行きました。パン屋と本屋と花屋は、いい店のある町に住みたい。そう思っています。幸い、隣町まで行けば美味しいパン屋があるので、1週間分のパンを買って冷凍します。仏蘭西人の友人が言うには、「昨日のパンは、日本で言えば冷や御飯のようなもの。パンは毎朝焼きたてを買いに行く。巴里ではパン屋は朝3時から開いている」とのことですが、解凍すれば美味しく食べられます。

日本で美味しいパンが多いのは、意外にも京都ではないかと思います。珈琲も美味しい。京都駅の駅弁のフランスパンサンドイッチは、手軽で充実しています。そもそも京都人は新しもの好きだそうで、クレープが流行し始めた時、初期から有名だったのは新幹線京都駅のガード下の店でした。